転んで、立ち上がって、寝る

毒親、不安障害やパニック障害、HSP疑惑、生きづらくて奮闘するが、空回り気味の人

いじめ(暴力)の加害者は保護されるべき

子供同士の暴力行為は、「いじめ」と言う言葉を使われることが多いが、ここでは、パワハラモラハラ、セクハラに当たる言葉は、すべて「暴力」と言う言葉を使う。

 

小・中学生で暴力を行う側の人間、加害者は保護されるべきと言うタイトルにしたが、このタイトルは非常に反発の多いものだろう。

 

では、どのように加害者は助けられるべきと言えるのか?

 

変な親の元に育った加害者

 

前提として子供は親の影響をもろに受けて育つ。

 

いい親の元で育てば、子の資質によるところはあっても基本的には、人道から外れる事はそうそうないだろう。

 

しかし、親が暴力的、支配的、無責任などと言った特性を示すような人であれば、子供もそうなる可能性が高い。いい手本を一切学ぶことが出来ないから。

 

人道的に何かがおかしい親もと言うのは存在する。でなければ、世の中に逮捕される大人などいない。

 

親以外の要素でも、加害者の周辺環境が荒んでいれば、大人のいい手本を見る機会は無く、子供自ら良い道を選ぶことは難しい。

 

このため、加害者の子供は何らかの形で保護を受ける必要があると考える。

 

加害者の食と健康

 

では、加害者はどんな保護が必要なのだろうか?

 

まず、「食」と「健康」の面での保護である。

 

食が人の精神に影響を与える事は、健康についての情報に詳しい人ならわかるだろう。

 

例え、健康に詳しくなくても、おいしいものを食べれば、「幸せ」と感じ、おいしくないものを食べれば、気分が下がる事は体感したことがあるだろう。

 

しかし、食と健康は、ただ、おいしい、おいしくないの話だけではない。

 

糖質‐砂糖の精神への影響

 

砂糖などの甘味料がたっぷりと使われた食べ物を食べ過ぎれば、血糖値が上がり、そしてまた下がると言う変化が体内で起こる。これを血糖値スパイクと言うが、これを頻繁に繰り返すと精神を狂わせる。

 

気分が下がったり、気分が変に上がったりと気持ちに落ち着きが無くなり、不安になったり、衝動的になったりする。

 

そして、多くの犯罪者、特に「キレる」タイプの衝動的な犯罪者はやたらと甘い清涼飲料水を飲んでいたと言う記録がある。

 

塩分足らずはエネルギー足らず

 

塩分は控え目にしろと言われがちだが、塩分が少なくても、体は元気が出ない。なぜなら、血液が体内を巡る速度が遅くなり、かつミネラルを細胞に補充出来ない。

 

そのため、血圧が低く、エネルギーが少なく、だるいと言った症状が出やすい。

 

特に若い時は代謝もいいし、学校の体育のプログラムで動くだろうしでミネラルをよく消費する。

 

だから、塩分をしっかりと補充できる様な食事をする必要がある。

 

しかし、塩分と言っても、どんな塩でもいいわけではない。

普段から天然塩を食卓に取り入れていなければならない。天然塩には、ミネラル分である、マグネシウムカリウム、カルシウムが含まれている。どの成分も血液に含まれている。

 

そして、これらの成分は細胞のエネルギー代謝をする時に使われるものなので、摂取が必須のミネラルである。

 

これらが無ければ正常にエネルギー代謝できず、体はだるく、太りやすく、頭はボーっとしがちになる。

 

もしも、甘いものばかりを摂取し、良い塩分を摂る機会が少なければ、さらに非常に精神が不安定な人間になる。

 

ちなみに大人が高血圧気味と言う理由で、子供にも大人と同じ少量の塩分しか与えないケースがあるが、大人と子供の体を同じようにとらえてはいけない。

 

(ここでは述べないが、高血圧の誤解と言おうか詐欺と言おうか迷うが、高血圧についてももう少し、知ってみるべきだ)。

 

食事への関心は、愛情の度合い

 

非行に走る子供達の食生活は非常に荒れていると言う報告がある。好きなものだけを食べさせたり、反対に、非常に栄養に乏しい食事だけを与えられているようである。

 

それは、親が食に無関心だからとも言えるが、それ以前に子供の健康に無関心だからだ。

 

愛情深い親たちは、例え自分が若い時に褒められる様な食事をしていなかったとしても、子供が出来たと言う時点で、食について学び始める。

 

そのような親たちでさえ、子供の心身を完璧に保つことなんて難しいが、食に全くの無関心で栄養の無いものばかり食べさせられている子供達よりは、はるかに親からの愛情を受けていると言う感覚を得る事が出来る。

 

しかし、非行に走る子たちはその感覚が薄い。

 

食と言う労りの行為を経験していない。

 

だから、他者を労ると言う感覚を学んでいない。

 

思春期に入って恥ずかしげもなく、勢いだけで非行に走る様な子たちはとても改心する未来が見えないように思える。

 

だが、何かしらの手を打つしかない。

 

結局のところ、それは加害者の生活を一変させてしまう事である。

 

環境を変化させる

 

加害者の環境を変えてしまうと言うのは一見、思いやりが無いようにも見えるだろうが、そもそもまともに愛情を示されず、好き放題させられている加害者はかわいそうだ。

それなら、愛情を与えない親たちから離れて、愛情深い者たちと交流すること、そして、温かい食事をきちんと食べる事である。

 

刑務所(少年院)では愛情を与えるものがいるかは分からないが、少なくとも食事事情は非常にいいと言う風に聞いている。

 

そのようなところで一度、食生活だけでも変化が与えられればいいのではないかと思ったりする。

 

刑務所(少年院)ならば決まった時間に消灯、就寝、起床と言う生活リズムもある。

 

生活リズムが狂うだけでも、精神的にはまだ発達段階の子供の体と精神は、不安や悪感情になやまされやすいので、理想的な生活リズムを取り入れるのは良い手である。

 

しかし、それでも非行に走りたいと言う欲求があるならば、それは、そもそもの道徳、倫理観などを教えられていないとも言える。

 

もしも、道徳や倫理を知ってはいても、そんなのどうでもいいと言うようなのは、結局、そもそもの人間性の問題である。分類的には、自己愛の歪んだ人格なので、お手上げ状態になる。

 

そうなると、周りの人間がこのようなものに近づかないようにする以外に無くなる・・・

 

どのようなパターンであれ、暴力の加害者側にも未来があるのだとしたら、保護されるべき。

 

最後に

 

2021年の雪解けの時、旭川で起こった少女の殺人事件?と言う痛ましい話を聞き、何かしら思いを共有できればと言う思いで書きました。こちらでは、その詳細を書くことは、私にとってはとても痛ましく書くことはできません。

目立つ人が必ずしもいい人ではない事を心しておく

目立つパフォーマンスをする人間が果たして人のために動いているだろうか?

 

あなたの周りにもいないだろうか?

人前でだけはいい顔をする人。

 

しかもタチが悪いのが、その人のパフォーマンスとも言える行動だけを見て、「いい人」ととらえてしまう事である。

 

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「考えろ、考えろ、考えろ」と言うメッセージ

 

「考えろ、考えろ、考えろ」とひたすら言っていた少年が主人公の物語がある。

 

 

著者は伊坂幸太郎

 

少年サンデーで漫画化されてもいたので、とっつきやすい小説だと思う。

 

 

この作品で印象的なのは、主人公の少年が常に「考えろ、考えろ、考えろ・・・」と言っていたことだ。

 

何に対してか?

 

見栄えの良い若い政治家のパフォーマンス(以降、指導者と呼ぶ)とそれに伴う妙な出来事にである。

 

背格好が良いと言うだけで、意外と人はその人を信頼に足るものと思ってしまうようだる。

 

しかも、周りの人間がその人を持ち上げれば持ち上げるほど、何の疑問も持たなくなる。

 

そしてその群衆は、その政治家が何をしようと指示する。

 

物事の因果関係を考えたり、言葉の裏を読むことをしなくなる。

 

だから、実際に目の前に起こっている事は危険なのに、格好の良い指導者に「問題ない」と言われればそのままその言葉を信じる。

 

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そして、大した問題は無いのに、さも大問題だとばかりに騒ぎ立てる人を信じ、支持する。

 

このような事は歴史上何度繰り返されてきたであろうか?

 

パフォーマンス人間は人前に出るのが好き

 

人は何度も露出する人に親近感を覚える。

 

誰かと友達になりたいと思えば、ただ単純にその人と過ごす時間を増やせばいい。

 

人は意外と単純だ。

 

だから、パフォーマンス大好き人間は必要の無い時も表に出たがる。

 

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ちなみに格好のいい指導者の意見のみが正しいと思い込むようになると、この指導者が例え間違った事、妙な事を言っていてもそれに自動的に賛同してしまう。

 

何も考えなくなるからだ。

 

だから『魔王』の主人公は、考えるように人々に働きかけたが、それでも群衆は何も考えない。

 

最後には主人公の言葉はかき消される。群衆からは見向きもされない。

 

群衆は何も考えずに若き指導者の言葉に賛同し続ける。

 

彼らは、ハーメルンの笛吹きに引き寄せられるネズミだろうか?

 

考える事をやめると変な空気に飲み込まれる

 

個人的に、『魔王』の中で少年が頻繁に出す「考えろ、考えろ、考えろ」と言う言葉はとても印象的だった。

 

群衆心理と言う言葉があるが、人が集まるとどうしても似たような行動を取る様になる。

 

それは、必ずしも自分が考えて、望んで行っている事ではない事もある。

 

暴動なんかはそうでは無いだろうか?

 

暴動に参加した人間に普段から暴力的な人はどのくらいいるだろうか?

 

回りの空気に押しやられて、気づいたら暴動に参加していたと言うケースが多いのではないだろうか?

 

もちろん、暴動を主催する側は何かしらの目的を持っている。そこには、暴動自体が目的でも無ければ、ただただお金のためにと言う場合もある。

 

暴動を引き起こしておいて、物事を良くしたいなどと言う言葉は、これ如何に?

 

 パフォーマンス大好き人間の自己愛は歪んでいる

 

トップに立つ、目立つ地位にいる人間の性質をまず考慮にいれたい。

 

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トップに立つ人間には自己愛が歪んだ自己愛性人格障害の人や、利益を追求するサイコパスタイプの人がなりやすい傾向がある。

 

自己愛性人格障害の人たちにも色んなタイプがあるが、主なる特徴としては、なんとしてでも自分に注目を集めたいから口八丁手八丁で、目立つことをしようとする。人々の注目を集めるために、誰かを蹴落としたりするための工作もよくする。

 

サイコパスはどうだろうか?サイコパスには共感力が欠如している。自分にとって「得」「利益」「うま味」がある事をする。そのために人をだましたりして、都合よく扱う事をいとわない。

 

彼らの共通点は嘘を使い、言葉や行動で人々を操り、自分にとって都合のいい方向に導こうとする。

 

血糖値スパイクを引き起こす甘い砂糖菓子の様な言葉を使うこともあれば、胃を痛めつけるかのような極辛の言葉や行動を取る事もある。

 

 

だから、脳が振り回されて混乱する。最終的に群衆に利益はあったとしても少ない。

 

彼らは一般的な人とは脳の構造が違う。

 

そう、一般的な考え方はしない。

 

だからこそ、出来る事もあるだろうが、それが人のためになっているかどうかは、しっかりと吟味しないとならない。

 

考えるのが容易でない時代

 

しかし、吟味する‐考えると言う事が最近はしにくくなっている。

 

あまりにも世の中は情報が多すぎる。

 

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情報に触れすぎると不安にもなる、イライラする、気がそぞろになる、混乱する、悲観的になるなど色んなネガティブな形で心理的に負担がかかる。

 

特に本当の事を何も知らないと言うのは、心理的にモヤモヤとする。

 

それが気持ち悪いから、心理的にネガティブになる。

 

だから、情報の取捨選択をしなければならない。

 

情報源の信頼性を見分けなければならない。

 

だけど、情報が錯そうしていると、調べて真偽を確かめるのが面倒くさくなる事もある。

 

何かを疑い続けるのはネガティブな感情だから、ストレスだ。

 

だったら、アニメなりドラマなり楽しくなれるものを見ている方が楽だ。

 

そうして考えないループを作ってしまう。

 

考えないのは楽だ。

 

考える人で、発言もするならそれ相応に敵が出来る。

 

『魔王』の主人公は敵に何度も脅迫された。命も狙われる。

 

だが、群衆は何も変わらない。

 

ただ一つ、あまりにも声高に叫ぶ者、大仰に騒ぎ立てるものに対しては注意を払うしかない。

一人の人だけを糾弾しようとするのはモラハラ

最近は一人の人だけを糾弾しようとする姿勢が見られる。

 

本当にその人は、全国にさらされて極悪人が如くに避難される必要はあるのだろうか?

 

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執拗に人を批判するのはモラハラ

 

犯罪でも無いのに、一つの発言や行動を取り上げひたすら騒ぐ*1

 

これはモラハラの手段の一種である。

 

モラハラとは、モラルハラスメントの略で、言葉や態度を使ったいじめや嫌がらせを指す。被害者側が精神的に傷つくことが多いが、外傷が無いので見過ごされやすい事も特徴的。

 

しかし、上記の意味合いだけだと、モラルと言う言葉を使っている意味は無い。

 

わざわざ「モラル‐moral」と言うラテン語から来た言葉を使っている事の意味を考える必要がある。

 

なぜならモラルハラスメントの構造には、「モラルを使って攻撃する」と言う事がある。

 

モラルは倫理や道徳を意味する。

 

倫理や道徳には、「あれをしてはいけない、これをしてはいけない」と言った、ある種の規則や規律が存在する。

 

基本的に人々はこれを無意識のうちにも守り、生きていくことが出来る。しかし、あくまで精神世界のものなので、善悪がはっきりと認識できないグレーゾーンがある。

 

モラルハラスメントの加害者は、このグレーゾーンをつつくことを喜んでする傾向がある。

 

世の中に完璧に物事を行う事が出来る人は存在しないと言う前提で、人々は生きているはずだ。

 

モラルハラスメントでは誰かがミスをしたりした時、それを狙って、責める事をする。

 

だから攻撃対象とされた側は、最初のうちは、自分が悪かったなと思ってしまう。

 

そして、ミスでも無い言葉尻を捉えて、さも悪いことの様に騒ぎ立て、ターゲットを悪人に仕立てる事もある。

 

そして、ズルズルとその悪辣な波に飲み込まれてしまう。

 

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モラハラは個人でも、集団でも起きうる。

 

さらに、モラハラについて提唱したマリー・イリゴイエンヌも言及しているが、モラハラが横行しやすい組織と言うのが、政治である。

 

政治の世界はお互いの足を引っ張り合ってなんぼの世界くらいに、ブラックに染まりきっているようだ。

 

しかしテレビを筆頭にしたマスコミが現在行っている事は、一体どういう事だろうか?

 

本来は色んな角度から物事を見れなければならないのではないだろうか?

 

今まででマスコミ上で謝罪の言葉を述べてきた人、特に有名人は多い。彼らは本当に公に謝罪をし、それでも糾弾される必要があったのだろうか?

 

彼らの中で事を済ませる事も出来たのではないだろうか?

 

このような状態を指して、一人の人を攻撃している状態を「集団リンチ」と言う言葉を使う人もいる。

 

 

モラハラを行う人にはやましい所がある

 

モラハラを行う人に共通する性質の一つに、自分の心のやましいと感じる部分をごまかすために、他人を責めることをする。

 

そして、他人にも嘘でもなんでも吹き込んで、その一人の人が悪いかのように思わせる。

 

しかも、大騒ぎをするのだ。

 

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この騒ぎ方はどうにもヒステリックで、聞きがたい所があるので、精神がしっかりと確立された人はこのような人には踊らされない。

 

しかし、精神的にはまだ未熟であったり、自分の利益優先の人物は感情優先の人物の言う事に従ってしまう。

 

これが物事をややこしくしていき、攻撃対象とされた側はたまったものでは無い。

 

精神的に疲れるだろうし、何もかもやってられなくなる。

 

テレビや他のメディアで集中砲火を浴びている人を見る時、とてもゾッとするのである。

 

人が何かを間違えないなんてことは無い。

 

ミスはどうやっても起こりうるもの。

 

またミスでは無いけれど、言葉の使い方一つで誤解が生じる事がある。

 

もしくはどんなふうに言葉を聞くか、どう解釈するかだけでも、誤解が生じることがある。

 

だから、その人がなぜその発言をしたのかを考えたりする。

 

しかし、その発言の理由、意図、経緯を一切考えもせずに、「あんなことを言ったあの人は、悪人だ!!」と言うような批判をするのはいかがなものかと常々思う。

 

このような事が多いから、個人的にはテレビを所有することは無くなった。

 

モラハラはどこでも起こりうる

 

モラハラは色んな組織で起きうることだ。

 

家族内、学校、会社、ボランティア組織、政治、その他諸々だ。

 

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マスメディアを通してこんなにもモラハラの構図を見せられている国民にはどんな影響が起こりうるだろうか?

 

‐ Aさんの立場が気に入らないから、Aさんを糾弾してその立場から引きずり落そうと言う空気が簡単にまかり通るようにはならないだろうか?

 

‐ 無意識のうちに誰かのちょっとしたミスを取り上げて、責め立ててもいいと言う空気が作り出されないだろうか?

 

‐ 言葉でも行動でもちょっとしたミスをすると、責められてヤバいことになるから、何もやらないでおこうと言う非積極的な態度にはならないだろうか?

 

 モラハラが起こる社会は腐敗する

 

モラハラが横行する社会は腐敗する。

 

なぜなら、他者の倫理や道徳価値観の違いに対する寛容さが存在しないから、問題が起こる。

 

また、モラハラの加害者側の主なる行動原理は「自分のため」である。決して社会のための行動では無いので、話を聞くと首をかしげてしまうぐらいには、おかしな話が展開される。

 

そこには他者への思いやりが無い。だから、圧迫感を感じさせられる。

 

人を責める側はターゲットにした人の道徳や倫理感を責めながら、自信の道徳や倫理観は決して高くはない。

 

だから、厚顔無恥な事が出来る。

 

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*1:犯罪者だったら騒ぎ立て、責め立ててもいいと言うわけではない。

経済的な理由で結婚が出来ないと言うが、本当にそうか?

少子高齢化が騒がれる世の中だが、物事は偶然に起こっているのではない。

 

なるべくしてなっている。

 

少子高齢化もなるべくしてなっている。

 

なぜ、そう言えるだろうか?

 

‐ 結婚年齢が上がった。

‐ 結婚に消極的な見方がある。

‐ 経済的リスクを考えると独身である事を選ぶ。

‐ 体質的に妊娠しづらい。

‐ 将来感が悲観的。

‐ 人々の精神性が低くなっている。

‐ 考え方の多様化。

 

これらの理由があるだけで、子供を持ち育てようと言う人が減るだろう。

 

そして、この中でも一番問題となり、一番の「結婚したくない・できない理由」は経済的な問題だと言える。

 

しかし、ここで思う事がある。

 

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昔の人、それこそ私たちの祖父祖母世代は貧しくても結婚し、子供を設けていた。

 

昔の人の話なんか、今の人たちと関係が無いから比較にならないと言うなかれ。

 

なぜ、私たちの祖父祖母世代は貧しくとも結婚し、子供を設けていたのか?

 

考えられるのは:

 

‐ そもそも結婚が半強制的なものであった(お見合い結婚など)。

‐ 将来的には確実に昇給する可能性もあり、頑張れば報われると言う時代があった。

‐ 子どもが大きくなれば、労働者の一人になると言う打算。

‐ 家庭の経済は夫婦で築き上げるものと言う考えがあった。

‐ 経済的な面でも足るを知るを知っていたし、清貧を良しとしていた。

 

今の人々はどうだろうか?

 

今の若者たちはこのような傾向を持ってはいないだろうか?

 

‐ 結婚は自由に相手を選べるようになった代わりに、「あの人はダメ、この人もダメ」と言っている。そもそも恋愛することに興味がわかない人もいる。

‐ どこか若者たちが悲観的で、「どうせ給料なんか上がらないんだ」と言う考えがある。

‐ 子供を将来の労働力にすると言う考えは古臭いし、悪だと言う感覚がある。場合によっては負担でしか無いと思っている。(注:「子供を労働力の一つに」と言う手段の子作りには賛成ではない)。

‐ 結婚するにあたって「年収○○○○ぐらいは稼いでないといけない」と言う。最初から経済的に相手に求めすぎている。お互いに協力しようと言う感覚が弱い。

‐ 贅沢をしたいと考える人もいる。その分、たくさん働かなければいけない。

 

よく言えば今の若者たちは、慎重に将来を考えている。慎重になり過ぎて、悲観論にいたり、身動きが取れなくなっているようにも感じる。

 

その反面、消極的なわがままになったとも言える。

 

だけど、結婚すると言う事に納得していないのならしなくてもいいと思う。

 

なんだかんだ結婚するしないは自由なのだから。

 

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実際に、独身と言うのは楽しい。

 

どこにでも行けるし、身軽に色んな事に挑戦できる。

 

パートナーや子供がいると、彼らの都合を考えたり、将来的な出費を考慮に入れて動かなければならないので、動きが鈍ってしまう。

 

しかも、感情の面でもパートナーや子供の事を心配したり、気遣ったりと気苦労が増える場合もある。

 

それでも、夫婦として絆を築き上げていくのは楽しいものなのだけれど。

 

二人で人生を築くことを選んだ夫婦

 

過去に結婚について話をしてくれた夫婦がいた。

 

彼らは決して裕福な状態から結婚したわけでは無かった。

 

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まず夫婦が住む家が必要だったが、作ったのは壁、床、屋根、窓と基本的に雨風しのげる場所でしかなかったと言う。

 

そして、二人で働いて徐々に床にタイルを敷いたり、壁に塗装をして、雨風をしのぐ以上のくつろげる家を作っていった。

 

子供が出来たりと色んな変化がありながらも、徐々にその家を完成させた。

 

何年かけて完成させたのかは聞かなかった。

 

最初からお互いに経済的に裕福では無くとも、「二人で築き上げる」と言う考えで結婚している。

 

からしたら、今は60代に差し掛かろうとしている二人をとても素敵な夫婦だと思った。

 

お互いがお互いを支えるのか、寄りかかるのか?

 

今の人たちはどうだろう?

 

年数かかってもいいから二人で家を築き上げた夫婦の様な考えをしているようには見えない。

 

なぜだか、お互いがお互いに寄り添うのではなく、どちらかがどちらかに寄りかかる様なイメージを持っている様な気がする。

 

そして最初からすべてが揃っていなければならないみたいだ。

 

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現代は将来の経済状態に不安を持つ人が多い。

 

 

女性側からしたら、ちゃんと稼げない男は将来的に、特に妊娠した時に、やっていけるのかどうか心配になる。

 

男性側からしたら、やっぱり女性側が仕事が出来ない状態になってやっていけるのか心配になる。

 

そうなると必然的に結婚をして、子供を持つ選択肢が無くなってしまう。

 

少子高齢化は経済的な不安から来るものと言う考えも極端な気もするが、それでも「生きるか死ぬか」を左右する可能性のある経済は、心理的に大きく影響してくる。

 

時代も時代だから、色んな観点から不安を持つだろう。

 

だけど、夫婦と言う関係は経済的な面でも、絆の面でも最初から出来上がっているわけではない。

 

二人で築き上げるものだと思っている。

 

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医者に頼り切りじゃ何も治らないと言える理由

何かと医者に診てもらおうとする人がいる。

 

なぜか医者に行けば治ると思っている人がいる。

 

プラシーボ効果的なものがあるにはあるだろう。診療代を払うだけで得られる安心もあるにはあるだろう。

 

しかし、医者に行けばいいと言う人間はどうにも人任せで、自分で治そうと言う気概が無いのではないだろうか?と思ってしまう。

 

病気や不調がどの程度のものかにもよるが、どちらかと言うと、自分の体の力を信じ切れていないと言うのが問題であると思っている。

 

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医者に頼りきりでは何も治らないと言える理由をいくつかあげたい。

 

‐ 医者も人間だから、多少のミスはある。

‐ 医者になる人間には善人もいれば悪人もいる。そして、悪人とまではいかないが、仕事に情熱が無い人もいる。

‐ 医者の中にも政治やビジネスなどのしがらみがある。

‐ 医者は病気を治すのではない。治すのは患者自身だ。

 

どんな専門の医者に関しても、共通して言えるのは彼らも人間であると言う事。

 

そのことを少し考えていこう。

 

医者は人間である

 

医者は大学で多くの事を学んだであろう。立派な事であるし、尊敬に値する。

しかし、どんなに学業優秀であろうとミスが起きる時は起きる。

 

患者からしたらたまったものでは無い。

 

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しかし、病気には線引きがあいまいな症状もある。

 

初期の段階では病気だと分からないものもある。

 

いまだに研究の進んでいない分野や、治療法の確立されていない病気などがある。これらに関してはミスだのなんだのとは言えない。

 

なので、医者は神のごとく奇跡を起こして、人々の病気を無くすことは出来ない。

 

医者に頼る時はあくまで、今の自分の状態を知り、病気があるのなら、「治してもらう」と言う姿勢で診てもらうのではなく、どうするといいのかと言う指標を知り、サポートを受ける事を目的とした方がいい。

 

医者は全員が善人では無い

 

医者にも性格がある。明るい人もいれば、どこか冷たく口数の少ない人もいる。

 

そして、情熱をもって仕事に取り組む医者もいれば、そうでない医者もいる。

 

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そして、さらに言えば、医者になりたいと言う人の中には、「儲かるから」と言う人さえいる。

 

「苦しんでいる人を救いたいから」と言う人はどのくらいいるだろうか?それは分からない。

 

ただ一つ、気になるのはサイコパスが選ぶ職業として多いのが、「医者」であると言う事。

 

サイコパスの特徴は良心の欠如、低い道徳心である。人当たり良くふるまって自分を装う人もいるので、「やばい人だ」とは気づけない場合がある。

 

だからこそ、医者を聖人君子の仕事だとは思わない方がいい。

 

サイコパス気質があるからこそ、普通の人では出来ない事が出来る事もある。

 

外科手術のために、他人の体を切り開くなんてとても怖いと普通の人は感じるだろう。だから、医学生も解剖学の授業の時、吐いたりするし、授業の後は何も食べれないと言う人もいるくらいだ。これを平気でやってのけられるとしたら・・・?

 

もしも医者にサイコパスが多いとしたら、果たしてその医者は患者のために薬を処方し、患者に最適な治療をするだろうか?

 

医者の政治やビジネスのしがらみ

医者とはいえ必ずしも儲かると言う事が保証されているわけではない。

 

ドラマなんかでは、上位の立場に付きたいがために同僚を蹴落とすと言うシーンが良く描かれる。

 

稼ぎたいと考えるならば政治的に行動するようにもなるだろう。

 

経営面も考えないとならない。医療に使う器具から、建物、備品諸々にお金がかかる。それらを日々調達したり、維持したりするためにはそれ相応にビジネスが出来なくてはならない。

 

そうなるとお薬を売ったり、患者さんに定期的に病院へ通ってもらわなければならない。

 

この場合、果たしてどのくらい患者さんのためを思った治療が出来るだろうか?

 

医者が病気を治すのではなく、患者自身が治すもの

 

医者がするのはあくまで患者さんのサポートだ。

 

医者は奇跡でも起こさない限り、患者さんを治せない。

 

どういうことかと言うと、患者さんが医者の勧める治療を拒否したりすれば、当然、治るものも治らない。

 

患者さんが生活改善のためのアドバイスに従わなければやっぱり治らない。

 

また、逆に医者の言う事ばかりに従い、自分から何も調べず、何の行動もしない患者も治らない。なぜなら、医者とはいえ患者のやることなすことすべてにアドバイスを与える事は出来ないし、多くの事は強制できない。

 

そして、明らかに患者に合わない薬もある。そんな薬を医者に言われたからと言って、飲み続けるのも病気を悪化させてしまう。

 

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薬に疑問を持ったら、医者に相談するしかない。

 

場合によっては、医者を変えたりすることも必要かも知れないし、そもそも医者に頼るのをやめなければいけないケースもある。

 

医者に従うにしろ、従わないにしろ、病気を治したいと思うならば、自分で治す意志を持って行動しなければ何も治らない。

 

余談

 

私自身、過去にはかなり医者に通っていた人間だ。

呼吸器系の問題、婦人科系の問題、神経系の問題(パニックや不安症)などなどである。

 

医者に通いつつ、運動をしたり、早寝早起きに気を付けて、たっぷりと栄養を摂るようにしていた(今思えば取り過ぎではあったが・・・)

 

良くなるものは良くなり、特に変化の無いものは変化が無かった。

 

何が問題だったのかと言う事を言うとあまりにも長くなるので、一つを挙げるなら、問題点の見誤りでは無いかと言う事。

 

例として挙げるならば、婦人科系の問題が生活習慣が悪いんだとして生活習慣のみに重きを置きすぎると、他の問題が見えなくなる。そして、色んなものや事を試しながら、「治らない、治らない」と嘆く羽目になる。

 

よくよく調べてみたら、そもそも婦人科系の構造に問題があった。こうなると、問題点が変わるし、対処も変わってくる。薬だけではどうにもならない。

 

このような事例は少なくないだろう。

 

病気を治すことは一つの側面からだけでは出来ない。

 

気合で治すのも現実的では無い。

 

医者に頼り切りでも治らない。

 

できる事は、医者に話を聞きつつも、さらに自分で調べたり、色んな事に取り組んでみる事だと思う。

 

そして、一番大事なことは自分の体の治癒力を信じて、治そうと程よく努力する姿勢を持つことだと思う。

 

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HSPが自分の事を理解していないと何も得られないどころか色々なものを失う

 

 

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HSP(ハイリ―・センシティブ・パーソン)が一般論に縛られてしまうと、何も得られないどころか、色んなものを失う。

 

HSPの特徴は神経が非常に敏感である事。そのために、様々な刺激が頭や心の中に入り込んでしまいやすい。

 

子供の頃から、神経が敏感である事で自分の事を自分でケアできていればいいのだが、たいていの場合はHSPで無い親から育てられることになる。

 

そう。

 

人口の80%を構成するHSPでない人、非HSPの親に。

HSPは人口の20%だ。

 

そうなると、一般論を使って物事を教えられる。これがとてつもなく賢くて優しい親で、かつ気の利く人ならばいいのだが、HSPについて知らない親に多くの事を求める事も出来ない。

 

かくしてHSPは一般論に自分を合わせて生きていくことになる。

 

そして、自分の人生のどこかで、自分の人生のどこかがおかしいと感じる事になる。

 

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自分を理解するためには一般論は考えに組み込まない

 

自分の性格、気質、性質、これらの認識が甘いと、自分に合った生活が出来ない。

 

だから、人が集まって遊ぶときに関して言うならば、「人がたくさんいるほど楽しいよね」が一般論だ。

 

しかし、私としては、この一般論は当てはまらない。私にとっては、最大4人くらいまでが心地良い関係性を築ける人数だ。10人も20人も人がいる所でわいわいするのは、苦手で非常に疲れてしまう。

 

それでも、私が自分はHSPなのだとは知らない間は、「大人数で遊ぶことに慣れればいいのよ」とか、もっと悪く考えると、「人が増えるほど嫌だと感じるなんて、排他的なんじゃないかしら」と自分の考えをジャッジしてしまっていた。

 

自分自身を知らずに、自分をジャッジする考えは罪悪感が心に根差してしまう。

 

どこかで自分は悪いことをしている気になってしまう。

 

一般論を基軸にして、自分の考えをジャッジして考えてしまうと本当にいらない事で気疲れしてしまう。

 

世の中には、一般論は当てはまらない人は大勢いる。

 

人種、文化、習慣、育ち、貧富の差、教育、世代、性別、土地柄、本当に様々な要因が人を作り上げる。

 

だから、すべての人は同じであって、まったく同じではない。

 

そこで、一般論をすべての人にあてはめ、自分にもあてはめてもうまく行かないこともある。

 

一般論と言う言葉だけを聞くと、何が一般論なのか分からなくなるだろうから、例えとしては、

 

‐ 一般的には、朝昼夜しっかりと食事をする方がいい。

‐ 一般的には、夜には寝るものだ。

‐ 一般的には、7時間も寝れば充分。

‐ 一般的には、男は酒が好き、女はスイーツが好き。

 

これらの「一般的には・・・」に当てはまる人は多いだろうが、当てはまらない人もいる。

 

‐ 朝は食事を摂れない人もいる。

‐ 夜型人間で、夜の方が頭がさえて仕事ができる。

‐ 寝る時間は、意図的に7時間に収めているのか、それとも、仕事の関係上7時間なのかによって変わる。また、女性だとホルモン変化でもっと睡眠時間が必要だったりする

‐ 男でも酒を代謝できなくて飲めない人もいれば、女性でもスイーツが苦手な人がいる。

 

「ああ、そうそうこういう人いる」と思わないだろうか?

自分自身がそうかも知れない。

 

もしも、一般的にはこうだから、自分もこうでなくてはならないと言う考えに引っ張られてはいないだろうか?

 

だとしたら不幸だ。

 

だって、一般的にはこうだからに縛られると、自分の体が欲しているものを避け、欲していないものを取り入れてしまう事になる。

 

自分は実はもっと寝たいと願いながら、一般論に合わせて睡眠時間を短くしていたり、朝ごはんは食べたくないのに、無理矢理食べている人もいるだろう。

 

このような調子でいくといずれ体を壊す。

 

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なぜなら体のニーズに答えられていないからだ。

 

自分を理解しない事は、負の連鎖を作る

 

私はHSPだ。

 

HSPの特徴として物事に対するアンテナが敏感と言うものがある。

 

  • だから、大勢の人が集まった時には、あの人は楽しんでいる、楽しんでいない?
  • あのグループ声が大きくて圧倒されちゃう。
  • 音楽が煩わしいほど音量が高くて、私が話をしている人の声が聞こえづらくて辛い・・・
  • もう少しくつろぎたいけど、人が多くてくつろぐ姿勢に入れない。
  • みんなに話しかけなきゃ・・・。この人はこの人としゃべっているから、後で。あ、この人はしゃべれそうだけど、苦手な人だ・・・

 

色々と気をもんでしまう。だから、すべてが終わった時には、首筋がピンと張りつめて筋肉が硬い。

そして、頭痛がする。

 

そう、体が「気を張って、張りまくりました」と訴えるレベルで神経が張りつめてしまう。

 

これを何度か繰り返すと、疲れ切ってしまい、エネルギーを他の事に向けられなくなるため、たっぷりと一人でいる時間を取り、たっぷりと寝なければならない。

 

しかし、仕事をしていると休日が終われば、人と関わる仕事に行くことになる。

 

本当は3日から1週間は世間から離れていたいのに・・・

 

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人と会うたびに多くの休息期間を必要とするのは現実的に思えず、それをしないでいると精神的に疲れ切ってしまう。

 

精神的に疲れてしまってはポジティブに何かを考える事が難しくなる。

 

そしてネガティブな影響が体に表れだす。

 

体には脳も含まれる。

 

自分に合わない事をしていれば、いつか無理がたたって、精神的にやられてしまう。

 

精神的にやられていると言う事は、体は実はもっと辛い思いをしているとも言える。

 

それが顕著に表れるのは、原因不明の自律神経失調症や肩や首のコリだったりするのでは無いだろうか。

 

そしてひどい場合ここから負の連鎖が始まる。

 

体調不良から仕事が辛いと言う気持ちが始まり、失敗が増える事もある。

 

この段階で休みを取る事が出来ればいい。

 

それが出来ない状態だったら?

 

さらに状態は悪化し、さらに他の病気を招く。

 

病気の治療には時間とお金がいる。

 

本来ならば、遊びや学びに使えたはずの時間とお金だ。

 

それらが出ていくことになる。

 

(病気を学びと考えられるなら、それが良い)

 

このような事を考えると延々とネガティブな連鎖が続くことになるのでやめる。

 

自分を知る事が人生を幸せにしてくれると思っている。

 

自分の性質がHSPである事が分かったのなら、HSPに合った人生を送ればいい。

 

無意識にそれを理解して、HSPに合った人生を送っている人もいる。

 

そういう人は幸いだ。

 

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不安障害&パニック障害、呼吸をしやすい体にする運動のコツ:スローな動き

不安障害&パニック障害で厄介なのは不安になること、パニックになることもそうですが、一番恐怖をあおってくるのは、「呼吸が出来ない感覚」かもしれません。

 

呼吸が出来ないってことは、死に直結しますから苦しいものです。

 

しかも、ゼェハァと苦しくもがいている姿を人に見られるのも辛いものです。

 

発作が起きている間は苦しくて何かをする状況ではないかも知れません。そんな時には、時が過ぎ去るのをただ黙って観察することをお勧めします。

 

パニックになっている時に無理に自分に起こっていることを拒絶し、パニックによる過呼吸を押さえつけようとしない事です。

 

そんなことをすれば、ものすごくエネルギーがいります。

 

例えるならば、苦しい状況と言うのは、溺れているような感覚そのものです。

 

溺れてパニックになっていたとしても、無理に水流に逆らって泳ごうとしても、さらに溺れてしまうだけです。水の流れが強い場所では、水の流れに体をゆだねましょう。しばらくしたら、流れが穏やかになったり、流れの終着点につきます。

 

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さて、終着点についたら考えることは、パニックになるのを最小限にすることと、パニックを引き起こして疲れた体をいたわる事です。

 

パニック後の体をエネルギーを使い切って疲れています。その上、筋肉と神経は異常に張っています。

 

その筋肉と神経の緊張を解いてあげなければ、過呼吸を引き起こしやすい状態になります。

 

体の緊張を緩めるためのストレッチには理想的な2つのポイントがあります。

 

どんな体操が理想的なの?

 

不安障害&パニック障害の人にとって理想的なのは、筋の緊張を緩める体操です。

 

どの様な体操かというと:

  • スローで動くこと、呼吸に合わせて出来ること。
  • そして、普段伸ばし切らない筋肉を伸ばすための斜めに動く体操です。

 

スローであることの意義

 

一つの動作を10秒から20秒かけて行います。できれば30秒くらいかけると理想的です。なぜ、ゆっくりと時間をかけるといいのかと言うと、体を伸ばしたと言う感覚、特定の位置の筋肉をしっかりと意識するまでに時間がかかるからです。

 

そのように少し時間をかけて自分の体を意識することで、体の中にある違和感や緊張に気づくことが出来ます。

 

また、スローである事から呼吸に注意を払い、自律神経の興奮を抑えることが出来ます。

 

1.違和感に注意を払う

 

一つの動作を5秒もかけずにパッパッとしていると、見過ごしてしまう体の中の違和感があります。例え、違和感に気づいたとしても、しっかりと注意を払わないとその違和感に対して、何かをしてあげられません。

注意を払うべきは:

 

「どのような違和感なのか」

「違和感があるのはどの位置か」

「違和感はどの動きで出るのか」

「違和感を感じるのは、一瞬、または、動きの間ずっとか」

 

などの点です。

 

2.体の緊張に気づく

 

また、スローモーションで動くことによって自分の体にどのくらい力を入れているかを把握しやすくなります。不安障害&パニック障害の人は体が緊張しています。でも、自分では肩が凝るなぁくらいにしか把握していないかも知れません。

 

覚えていますか?過呼吸を起こした時の体の感覚を。

 

かなり力が入っています。肋骨周りもみぞおちも、首も肩もガチガチになっています。手はダラーンと下げることが出来ず、握りこぶしを作っています。

 

自分の体が自分が想像している以上に緊張し、力が入っていることに気づければ、体の力を抜くことを意識して行えるようになります。

  

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3.呼吸に注意が払える

 

呼吸の速度に注意を払います。理想としては5秒かけて息を吸い、8秒かけて息を吐きます。

 

ゆっくりとした呼吸は自律神経を穏やかに保ってくれます。

 

このため、ランニングなどによる激しい運動をして呼吸を乱すことは、あまりおススメしません。

 

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4.自律神経を穏やかにする

 

パニック発作を起こすときは、人によってさまざまな事情があるでしょうが、総じて言えるのは、パニック発作を起こしている時の神経と脳の連携は上手くいっていません。

 

自律神経は異常に興奮していますし、脳もドーパミンやアドレナリンを放出しまくっています。それぞれが過敏に反応し、お互いがお互いを刺激しまくっています。

 

激しい運動は自律神経を興奮させます。ドーパミンもアドレナリンも活発に放出されます。

 

ゆっくりとした動作の動きは自律神経の働きを落ち着かせて整えてくれます。かつ、心地よい動きや体の刺激はセロトニンの分泌を促してくれます。

 

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不安障害&パニック障害の人は生活をスローにさせることも視野に入れてみる

 

今の社会は何かとスピード重視で、何もかもがスピーディーに行われないといけない状態です。

 

決してそれは間違いでは無いのですが、仕事や他の場面でもセカセカとしてしまう時間の方が、のんびりとする時間よりも多いと、セカセカとしたクセがついてしまいます。

 

例えとして言うならば、新幹線ならば目的地に着くのは早いですが、その分、周りの景色はすぐに過ぎ去ってしまい、景色をしっかりと堪能しながら旅行すると言う感じにはならないでしょう。

 

回りの景色を堪能したいならば、電車や汽車で移動するといいですね。そして、何かしらの発見をすることもできます。

 

私たちの体もスピード感ばかりを追い求めて動かしていれば、いつしか、色んなものを見過ごしてしまいます。

 

だから、スローになる時間、自分の体の調子を自分自身で感じる時間を大事にしたいものです。

 

体が悲鳴をあげた時、それは、何かを変える時なのです。

 

体が調子が悪いと訴えているならば、それによく注意を払う事です。そうでなければ、大きな痛手を負うことになるでしょう。

 

 

今回は「スローな動き」をすることの意義についてお伝えしました。次回は、「斜めの動き」についてお伝えします。

不安障害&パニック障害の人は筋肉のコリを出来るだけ減らした方がいい

 不安障害&パニック障害の人の体は固いです。

 

足をベターっと広げることが出来ないとか、体を曲げたときに手のひらが床につかないと言った固さのことではありません。

 

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自分ではもしかしたら気づいていないかも知れませんが、体全体が凝っています。気づいている人は、首や肩が固いなぁと感じているかも知れません。もしくは、固いとまでは思わなくとも何だか今までとは違う感じで、気持ち悪いなぁと思うかも知れません。

 

あなたは体のどの部分が気持ち悪く感じますか?

 

無意識に力の入っている不安障害&パニック障害の人の筋肉のコリ

 

不安障害&パニック障害になる人の特徴としては、「緊張しやすい」と言うのがあります。

 

何かにつけて、精神的に自分を追い込んだり、誰かといるのを心地よく思えていなかったりすると、心はのびのびとしてませんので、無意識のうちに体にも力が入ってしまいます。

 

この無意識に力が入っていると言うのが厄介なものです。

 

無意識に体に力が入っていると、筋肉の動きが鈍くなり、筋肉が収縮した状態になります。キューっと筋肉が縮んでいるのです。これが「コリ」です。

 

この無意識の状態で筋肉を縮こまらせていると、それが体のくせになってしまいます。そのため、体は常に疲れ気味になり、だるさを作ります。そして、肩こりや首のコリとしてハッキリと自覚できるまでになります。

 

このため、不安障害&パニック障害の人は定期的に体を動かしたりして、筋肉が凝るクセを付けないようにしたいものです。

 

呼吸をする時に注目したい筋肉

 

肩や首のコリは比較的よく動かす分、違和感に気づきやすいですが、これらの部分よりも凝っている体の部分があります。

 

それが、お腹です。

 

正確には、横隔膜と肋骨周辺の筋肉です。

 

呼吸が上手にできない人と言うのは、お腹と肋骨周辺を十分に動かしていません。そのため、息を吐くと言う体をリラックスさせる動作が足りていないのです。

 

あまり意識をしないかも知れませんが、お腹や肋骨周辺の筋肉も固くなります。

 

肩や首が凝ったら、固さや痛みを感じますが、お腹や肋骨周辺が固いと言っても、固さや痛みを感じることが無く、あまり自覚できるものではないかも知れません。

 

簡単に呼吸をする時の、横隔膜と肋骨の筋肉の働きを説明しますと:

 

横隔膜: 横隔膜は肺の下にあり、胃や肝臓などの内臓の上にあります。

    横隔膜は息を吸う時に肺が広がるのを助けたり、息を出すときに押し出す助けをします。

 

肋骨の筋肉: 肋骨の筋肉とは肋骨の間にある筋肉、肋間筋ですが、これも肺を広げたり縮めたりするのを助けます。

 

 これらの筋肉がふだんは相互に助け合いながら呼吸をしています。

 

しかし、横隔膜と肋間筋までもが緊張などで固くなってしまうと、肺が充分に伸び縮みが出来ません。

 

そのために、十分な呼吸が出来なくなってしまいます。

 

呼吸に色んな筋肉:肩や首のコリをなめてはいけない理由

 

息を吸う、吐くの動作で使われる筋肉は実はかなり多いのです。

それは、お腹周り、肋骨、そして首の筋肉と顔・・・

それぞれがいろんな形で影響しあっています。主に空気を肺に溜めるのに使われるのはお腹と肋骨の筋肉。

 

呼吸をする際に補助として首や肩の筋肉が使われます。

 

喘息を患ったことのある方なら体感したことがあると思いますが、喘息の発作で上手に呼吸が出来ない時は、頑張って呼吸をしようと肩が上下に動いていますよね。そして首回りの形が突っ張った状態になるほど力を入れています。

 

これは、呼吸をするにあたって、横隔膜の働きだけでは十分で無いと体が判断した時になります。肩を上下させることによってさらに空気を取り込もうと体が頑張っているのです。

 

このことからわかるのは、肩も首も呼吸をすることに影響を与えていると言う事です。

 

首や肩周りの呼吸に関わる筋肉についての詳しい説明は省きます。

 

呼吸においての補助的な筋肉とはいえ、肩や首の筋肉が凝っている状態だと、スムーズに呼吸が出来ないと言う事になります。

 

つまりは、呼吸においてのメイン作業を行う横隔膜の働きを上手にサポートしていないと言う事です。

 

上手なサポートがなされていないと言う事は、横隔膜や肋骨に負担がかかります。そして、その負担はさらに首肩にかかってきます。

 

その分、息をするだけで疲れる状態になります。

 

不安障害&パニック障害の人は体を柔らかくするために時間を取って!

 

呼吸が浅いと言う状態は不安を作りますし、反対に、呼吸が深くできて、リズムが整っていると不安は軽減します。

 

このことを考えると、肩首回りもその他の筋肉も同様ですが、柔らかくしなやかである方が不安障害&パニック障害の人にとって大事なことです。

 

体を柔らかくするためには、ストレッチを行うことが大事です。

 

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また、体のどの部分をどの様に動かした方がいいのかと言う事については後日扱います。

 

どうぞ、こちらを読んでくださった方が、楽に日々を過ごされますように。

パニック発作をぶり返した時の問題点 ー「ショックな出来事」

パニック発作で苦しむ方の中には、もうすでに治った方、まだ治らない方もいるでしょう。

 

私の場合はパニック発作を3年ほど患いました。とりあえず発作が頻繁に出なくなったのですが、何かのきっかけがあって、2度ほど、1,2年ほど空けてパニック発作をぶり返しました。

 

発作をぶり返してしまうと言う不本意な問題点は何だったのかについてお話したいです。

 

まず、一つ目は睡眠不足と疲労です。

そして、解消されていないトラウマがありました。

 

問題1:睡眠不足と疲労

 

睡眠不足と疲労は不安障害とパニック障害にとっては大敵です。脳も体もしっかりと休んでいないので、体のいたる所の筋肉が緊張してしまいます。そうなると、呼吸が上手くコントロールできません。

 

その上、睡眠不足や疲労がある時に、何らかの大きなストレスがかかってしまうと、普段は問題が起きたら精神的にその状況を受け止められなくなり、脳内に色んな考えや感情が沸き上がってしまい、それを受け止められなくなります。例え、普段はストレスを受け入れられたとしてもです。

 

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私の場合は、睡眠不足と疲労がある状態で旅行をしていました。グループでです。旅行の終盤になると疲れが出てきます。でも、終盤だからとガッツリと動きまわります。

 

そんな中でちょっとしたトラブル、またはトラブルとも言えないけれど変わった事態に遭遇したら、その時のストレスを処理できなくなるんです。

 

それで、パニック発作を引き起こす事になります。

 

このため、私はなるべくグループでの旅行は避けています。

 

問題2:解消されていないトラウマ

 

トラウマと言うと、何だか大袈裟な感じすら受けますが、やはり精神的なショックを受けた記憶と感情を受け止め切れていないと、心がそれにまつわる状況を拒否してしまうようです。

 

それで、パニック発作過呼吸が出てしまいます。

 

私自身の認知の中では、何だか嫌な記憶だなと思っていたつもりの出来事が、自分の心にとってはものすごく負担になっていた出来事があります。

 

それは小学校高学年の頃に、同じ学校の子から体(マイルドに言えばですが・・・)を執拗に触られそうになり、逃げ回ったことがあります。

 

そして、また別の機会には実際に体を触られました。

 

これらの事態について私は誰にも打ち明けたことは無かったです。そして、我慢して忘れればいいのだと自分に言い聞かせていました。

 

それにこの事態に対して非常に混乱していて、とても人に説明できるようなものでも無かったんですよね。

 

でも、確実に心の中には無自覚ながらも、男子(男性)に対する「恐怖と嫌悪の念」が混在する心の状態になっていたと思います。

 

しかし、学生時代を過ぎ、社会人になってぼんやりと男を嫌だなぁと思いつつも、ある程度は男性をコミュニケーションを取ることはできていました。

 

何だか生きづらい、自分は普通なのだろうか?自分の人生が間違っているのではないだろうかと言うようなモヤモヤとした気持ちを持ちながら20代も後半に差し掛かろうとしていた時、親との関係を見直すことが必要とされる出来事が起こりました。

 

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その時には、何度もカウンセラーに話をしながら自分の心を癒していきました。そんな時に、ふと話題に上がったのが、小学校の頃に男子に体を触られたと言う出来事です。

 

誰にも話したことが無かった出来事を話すと言うのは、非常に苦しかったです。言葉が上手く出てきませんし、上手く息もできません。不安がお腹の中から湧き上がってくるのです。

 

今すぐにその場から逃げ出さなければヤバいと言う感覚にされました。

 

そして、カウンセラーとの話が何とか終わったら、パニック発作を引き起こしました。まるで、一番最初にパニックに陥った時のような状態でした。

 

過呼吸で息を吐くことが出来ず、手足がしびれ、みぞおちが重いと言った状態で一時間ほど過ごしていました。

 

その後、数日経ち随分とすっきりした気分になりました。

 

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私自身は、男子に体を触られたと言う事がトラウマの一部になっているとは思っていませんでした。

 

が、確実に自分の感情や心を縛る出来事だったのです。

 

ショックな出来事に向き合う

 

自分があまり大げさに「これがトラウマの原因で、このせいで私の人生はうまくいっていない。そのせいで、パニックになったんだ!!」と言えるような出来事がはっきりと自覚できる人もいれば、まったくそうでない人もいるでしょう。

 

それでも、確実に自分にとって「ショックだった出来事」は何らかの形で心に楔を打ち込んでいます。

 

あなたにとってショックだった出来事はありますか?

 

自分の過去のすべてを暴こうとする必要があるか、無いかはわかりえませんが、それでも、パニック発作を起こすきっかけとなる「ショックな出来事」を自分の心の中で拒否し続けるよりは、いったん受けて、それから流してしまう方が案外自分の心の問題を取り払う助けになるのかもしれません。

 

とはいえ、わたしは、ショックだった出来事を一人で解消することはおススメしませんし、だれでも彼でも話せばいいと言うわけではありません。

 

本当に信頼のおける人にのみ話すことが一番助けになります。

 

そして、あなたが楽に呼吸をして、楽しんで暮らしていますように。

 

私自身に起こった出来事が何らかの形であなたにも役立ちますように。

親から離れるといい理由と、親から離れて感じたこと

私は18歳の時に親元から離れて、一人暮らしを始めました。

 

その時に感じたことは、非常に楽だと言う感覚です。

 

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なぜか親元にいると、常に親に見られている気がして、自由に動けない感覚がありました。

 

誰かと暮らすと言う事は、自分以外の人のペースもそれなりに気にして生活しなければならないのは、ままある事だと思います。

 

でも、親が子供のやることなすことを批判したり、感情的に怒鳴ったりするようですと、子供としては何をやるにも、何を言うにもビクビクしてしまいます。

 

だから何かをするにも、言うにも親の顔色を伺う癖が出来てしまいます。

 

だから、一人暮らしを始めたら誰の目も気にしないでいいので、非常に動きが楽になるんですよ。

 

何かをする時に、今親がどうしてる?親がどんな気分でいる?なんてことを一瞬頭の中によぎらせなくていいのです。

 

こういうことを一瞬でも考えたり、親の様子を伺いつつ動くというのは非常に精神的な疲れを生みます。

 

実家にいると体調不良になる気がする

 

疲れるという感覚以外にも、私は実家に住んでいた時は、何だか体が重いなぁと感じていました。特に肝臓のある部分の背中の右側に痛みと重さを感じていました。

 

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東洋医学では、内臓の反応の仕方が人間の感情と結びついているという考え方があります。

 

科学的な見地からの説明が乏しいようには思いますが、経験則から言うと、かなり当たっているように思います。

 

私は背中の肝臓の部分が痛かったのですが、肝臓というのは「怒り」の感情と結びついています。

 

この背中の右側の痛みは、中学のころからありましたが、じくじくとしたものでした。

それだけ実家にいること、親といることに私はストレスとともに、怒りも感じていたんだなぁと思います。

 

最も、実家を出てからすぐにこの背中の痛みが無くなったかと言うと、そうでも無いです。

 

むしろ今30を超えてから、色々と解放されてきたように思えます。

 

親との関係があまり良くない、または、親との関係自体は悪くないけれど、何だか親との関係に違和感を感じると言う人は、今体調はどうですか?

 

万全の体調で毎日を送れていますか?

 

親元から離れて、ハッピー以外の気持ち

 

親元から離れて、万々歳!!

 

ハッピー!

 

とだけ感じるかと言うと、そうでも無いです。もちろん多少の寂しさはありますし、多少の不安はあります。

 

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でも、新しい生活を始めるワクワクの方が勝ちます。

 

そして、自分のペースで動けると言う事が非常に気分を良くしてくれます。だからこそ、ワクワクが沸き上がってきます。

 

その分、何かをやってやろうというエネルギーが湧いてきます。

 

一人暮らしを始めて2年間は本当に元気だったなぁと思います。

 

親元から離れれば、毒親問題がすべて解決するわけじゃない

 

親元から離れれば、親の干渉や親の子供に対する無遠慮な言葉を聞かなくて済むので、比較的精神的に楽になります。

 

でも、心の奥に傷を持っていたり、親によって安心という感覚を味わっていないと、いつかはまた毒親問題の渦中に引きずり込まれるんですよね。

 

でも、この毒親問題は直接親と対峙して問題が出来るというわけじゃないのです。

 

社会に出て人ととの関りが増えてくると、なぜか特定のトラブルに巻き込まれやすかったり、なぜか特定の気質の人との折り合いが悪かったりします。

 

そのため、家族とのストレスからは解放されたけれど、今度は会社でストレスを抱えるということになります。

 

生きていれば多少なりともストレスがかかる状況に見舞われるものですが、それがいつも似たようなパターンの問題にさらされると言う場合は、自分の中に何らかの問題があるんです。

 

親元を離れればすべての親に関係する問題からは解放されるわけではないんですよね。

 

だからこそ、毒親と言われるゆえんでもあるわけです。

 

ジクジクと脳や体を蝕んでいき、思ったように動けなくします。

 

親から離れることがすべての問題の解決では無いけれど、おススメします

 

それでも、親との関係に悩んでいるならば、また、悩んでいなくても一人暮らしをしてみるのはおススメです。

 

経済的に難しい場合があるかもしれませんし、仕事の都合もあるかも知れませんが、結婚していないならば、しっかりと親との距離を物理的に取ることが人生のうちに一度でも持った方がいいです。

 

一人になった時に、しっかりと自分の価値観や自分のしたいこと、自分の大事にしたいことに向き合いやすくなります。

 

少し話は逸れますが、結婚して親と同居を強くススメてくる親とか義両親がいたとしたら、なんなんだと思います。

 

それぞれの家庭に事情があれど、新婚さんは新婚さんで新しい家族、新しい価値観、新しい習慣を築いていくのです。そこに以前の風習をとりいれさせようなんざ、毒を徐々に盛っていくのと変わんないわ!!と思っています。

 

はい、極端な話です。が、どうにも嫁姑問題が多いと聞くので、言ってみたくなりました。

 

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最後に、自分の人生はあくまで自分の人生です。親の考えること、親の価値観、親の基準などに左右されていては幸せにはなれません。

 

せっかく生きていくのならば、幸せに生きていきたいものです。

 

おうち時間を充実させるためにやっていること5選

#おうち時間

 

おうち時間が充実したものとなるために出来ることは、やりたいことをやる!

 

なのですが・・・

 

意外とたくさん時間があると、最初の2,3日はやりたいことをガッツリとやることが出来るのですが、それ以降は何だか、「こんなに趣味にばかり時間を使ってていいのかな?」とか、「だんだん、飽きてきた」なんて、状態になります。

 

私がおうち時間を充実させるためにやっている事は、

 

*本を読む。

*編み物をする。

*お菓子を作る。

*ジグゾーパズルで遊ぶ。

*やったことが無いことをやって、慣れていくです。

 

割と普通の時間のつぶし方です。

 

でも、どれも楽しいものですし、実益も兼ねれます。

 

 

本は最強

 

本は学ぶために読んでもいいですし、ただ、楽しむためだけに読んでもいいです。

 

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特に本はコスパに優れています。文庫本なら600円から800円で買えますし、ハードカバーの新書も1500円から2000円が相場です。

 

ものすごくコストがかかるわけではありません。

 

それでも、なるべく節約したいとか、たくさん買いたいと言う人は、古本屋さんで本を買えばいいです。

 

よく売れている本なんかは、本の状態にもよりますが、新書より200円から300円安く売られています。

 

(もっと安いと嬉しいです)。

 

簡単な本なら1時間かかるか、かからないかで読めますし、しっかりと読みたい本は何時間でもかけて読めます。

 

時間をかけて、作者は何を感じて、何を思いながら、この本を書いたのだろう?とか、何を伝えたいのだろう?と考えながら読むことで、作者と対話するように本を読むこともできます。

 

以前読んだ本をまた読んだりして、新しい発見に出会えることもあります。

 

編み物は時間がたっぷりとれる時にしたい

 

編み物はチョコチョコと編んでいくのもいいのですが、あまりに期間が空きすぎると、手の感覚が変わってしまったりするので、なるべく半年から1年以内には完成させたいものです。

 

2,3時間で編める手袋や小物などを編むにもおすすめです。

 

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編み物はブラウスや帽子など、実用的なものを作れたら、出来上がった時には、満足感を味わえます。

 

そして、レースで編んだ飾り物で自分のお部屋を飾ると、一段と自分の住む部屋が憩いの場になります。

お菓子作りは優雅な時間

 

シンプルなお菓子でも、ちょっと凝ったお菓子作りをすると、優雅な気分で昼下がりの時間を過ごせます。

 

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紅茶のポットとカップを温めておいて、お菓子が出来上がったタイミングで紅茶を淹れるなんて、素敵です。

 

独身の頃の昼下がりは、編み物をしながら、クッキーが焼きあがるのを待ってました。

ゆったりとした時間が流れていくのを感じられる瞬間でしたので、本当に充実した一日が過ごせたなぁと感じることが出来る時間の使い方だったと思います。

 

パズルで集中する時間が楽しい

 

ジグゾーパズルも時間つぶしにも最適です。

 

サイズやパズルのピースの数にによっては、1時間もかからずに終わります。

150ピースだと1時間もかからずに終わります。

300ピースだと2時間かかるか、かからないか。

1000ピースだと3時間から4時間くらいはかかります。

 

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最近は、厚い紙でできたパズル以外にも、プラスチック製のパズルや、キャンバス風のパズルもあります。

 

プラスチック製やキャンバス風の素材のジグゾーパズルのいい所は、ピースがカチッとはめられるので、糊付けが必要ない所でしょうか。

 

しかも、フレームもついてくるジグゾーパズルもあるので、色々なものを準備しないでいいのがかなり楽です。

 

スマホのアプリでもジグゾーパズルが遊べますので、パズル好きの方や興味がある方はスマホのジグゾーパズルのアプリをダウンロードしてみるのもいいですね。

 

スマホのアプリのジグゾーパズルのいい所は、場所を取らないし、片付ける場所や保管場所がいらないと言うところと、何かの拍子にピースが無くなってしまうことが無いと言うところでしょうか。

 

ついつい遊びすぎちゃいますが・・・

 

やった事が無いことをやる

 

時間がたっぷりある時は、新しいことを始めるにはもってこいなんですよね。

時間がたっぷりあるので、何かが理解できなかったりしても、調べる時間がありますし、色々と試行錯誤する時間もあります。

 

時間が無い時に、チョコチョコと新しいことを学んでいくのもいいのですが、どうにも途切れ途切れになると、忘れてしまったりすることもあります。

 

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今は動画の作成に挑戦しています。色々と分からないことがあったり、何だか出来が思ったのと違うなぁなんて感じてしまったりと、学ぶことが色々ありますし、慣れることも必要なので、それなりに時間がかかるものです。

 

たっぷり使える時間を使って色々とやった事が無いことに、挑戦していきたいです。

親との連絡、とってる?無理に親との連絡は取らなくてもいい理由

今は外出を極力控えるように言われています。

 

今一緒に住んでいる人以外の人と会うことも減ったことでしょう。

 

一人暮らしの人は、一人で過ごすことも多いのではないのでしょうか?一人が好きな人にとっては、もしかしたらパラダイスかもしれません。

 

でも、そこで気になるのは、実家の親御さんです。親御さんは大丈夫かなぁと心配になるかもしれませんし、親御さんを支えたいと思うかもしれません。

 

それが、普通の家庭で育ったならばです。

 

毒親に連絡をとれる?

 

しかし、毒親という、自分にネガティブな影響を与えてきた親に連絡を取るのはどうでしょう?

 

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私が、一人暮らしを始めた時、他の兄弟たちも親元から離れたときは、周りはこぞって言います。

 

「お父さんもお母さんも寂しくなるわねぇ。ちゃんと連絡とってるの?」

 

私は誰に対してもマメに連絡を取るタイプではないです。だから、あまり連絡をとっていないと言うと、いるんですよ。

 

「それは、ひどい!」

「もっと連絡をとってあげなくちゃ、かわいそう」

 

みたいな反応をする人が。

 

でも、本当にそうですか?

 

親の側がもしも連絡をとりたいと思うならば、親から電話をしてくればいいじゃないですか。

 

なぜ、子供の側からのアクションが必要なんですか?

 

一部の人だけかも知れませんが、子供から親に連絡をとるのは当たり前みたいな風潮があります。

 

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親子の絆を強めるためにとか、お互いのことを思いやるためにとか、色々な理由があるでしょうが、こういう話の時、たいていは親が子供を心配しているはずだから、子供は親を安心させるために、電話をしなきゃいけないと言う論調です。

 

立派なことだと思いますよ。

自分のことを育ててくれた親を気遣うことは。

 

でも、それは普通に愛情を注いでくれた親に対してですよ。

 

自分の感情をコントロールしてこようとする親、親の都合を子供に押し付ける親、親の発する威圧感で自分の思うこと、感じることを言えないような親に対して、一般で言う「連絡とってあげなきゃ」って、親世代の勝手なんですよ。

 

言ってしまえば、親が子供に甘えてるようにも聞こえます。

 

連絡をとりたきゃ、自分から連絡取れや!!

 

と、思います。

 

戦時中の兵士であちこち移動して、どこに手紙を送ればいいかわからないなんて状況じゃないんですよ。

 

連絡の頻度なんて人それぞれ

 

私の親は毒親だなぁなんて思うような親でも、やっぱり心配になりますよ。でも、いちいち周りが良かれと思っているような、親との頻繁な連絡をとると言うのは、それぞれが決めることです。

 

一年に一回の連絡が、頻繁に感じる人もいれば(極端)、1か月に一回が頻繁と思う人もいます。

 

どのようなペースで連絡をとるのかは人それぞれです。

 

 

連絡を取らないメリット

 

それにあえて親との距離を置くというのは、自分の考えや感じ方を整えたりするのに役立ちます。

 

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子供は親に育てられて、親の価値観で育ちます。でも、親の価値観やものいい、親の自分の扱い方に違和感を覚えることもあると思います。

 

でも、ずっと一緒に住んでいると、その違和感に気づかなくなります。そうすると自分の心のうちでは「嫌だ」と思っていることでも、受け入れてしまいます。

 

「兄は優秀であんたは愚図ね」なんて言われて育った子は、自分でもどんどんそう思うようになっていきます。

 

でも、それは明らかに認知の歪みです。

 

こういう認知の歪みを治すためには、歪みの元を絶たなければなりません。

 

絶えず歪みを与えてくるような相手といるならば、色々修正しようにも修正するのには時間がかかってしまいます。

 

親の価値観で生きてきたならば、いったん自分の価値観は何か?と自分にも問う必要があります。

 

自分の価値観や自分の感じることを、特に心の奥にあるものを知るのには時間がかかります。

 

だから、今、親御さんとの距離があって、実家に帰らずに済んでいるならば、とにかく自己認識を変えることに時間を取ったほうがいいです。

 

毒親はかまってちゃんな面もあるので、不安になると「何で、頻繁に連絡をしないの!?」とキレる人もいますが、「色々と修行してるんで」とでも言って、相手にしない期間を設ける方がいいです。

 

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親との関りは自分のためにも重要なことですが、人生には色んなステージがあります。人生のすべてのステージに親が登場する必要は無いのです。

 

そして、親の価値観では無く、れっきとした自分の価値観で生きられるようになれば、本当に人生が楽しくなります。

 

ブラック企業に勤めてる人よ、今こそ脳と体を休ませろ。

「しごとの思い出」

 

ブラックなアルバイト先に勤めた時の話。

 

日本の飲食店はよくブラックだと言われています。いくつかの飲食店でアルバイトしましたが、あたりまえですが、すべてがブラックではありません。

 

雰囲気も良く働きやすい飲食店もあれば、非常に、非常に、非常に働きにくい飲食店もあります。

 

ブラックの特徴としては、怒鳴る。人前で叱る。なんか倫理的におかしい。まともなシステムがない。無理なことをさせる。上司や先輩がそろって悪口三昧。ミスを執拗に責める。特に説明されてもいないことを命令して、分からなかったら馬鹿にするか、叱る。以前は、Okと言っていたことを、今日はNoと言うなど、上司や先輩の気分しだいでルールが変わる。先輩が上司風を吹かす(何さまやねん!感満載)。過剰な要求。長時間労働。休憩は6時間勤務してから。管理者不在(店長、または支配人)。

 

など、色んなことがあげられる。

 

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ブラックな職場で働くとどうなる?

 

ブラックアルバイトで働いていてどう感じたかって?

 

正直、疲れました。

 

精神的にかなり疲れましたし、体もボロボロでした。

 

精神的には、PMSで精神状態がひどく不安定になり、不安感や恐怖感が強く、反芻思考が強くなり、考えを変えようにも変えられなくなりました。

 

身体的には、肩首が痛い、左腕の腱鞘炎、腰の痛み、足のだるさ(長時間、立っていたからかも知れないですが)、生理通の悪化、体重の減少などがありました。

 

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上記の様な話だけだと、ブラックな職場の状況やそこで働いている人の悲惨な状態は伝わりづらいかも知れませんが、今回は割愛してます。

 

ただ、言えることは、ブラック企業で働いた場合、心身ともにダメージを相当負います。

 

自分が想像しているよりもです。

 

だからこそ言います。

 

今こそ、外出自粛要請が出ているので、しっかりと脳と体を休ませてください!

 

ブラックアルバイトを辞めた、その後はどうなる?

 

私自身の話をしますと、ブラックで5ヶ月間ほど働きましたが、その後、別の職場で働くことにしました。

 

腱鞘炎はすぐに無くなりました。

(腱鞘炎は度重なるストレスでもなります)。

 

それでも、首、肩、腰のこわばりは抜けませんでしたし、PMSなど生理関連の健康の改善は無かったです。

 

また、精神的な面でも、非常に疲弊しきっていて、ブラック職場をやめた後でも、フラッシュバックをするかのように、記憶によみがえったり、怒りが湧いてきました。

 

ブラック企業で働くと言うことは、「怒鳴る」「けなす」「さげすむ」などの行為を行うことによって、相手を一種の洗脳状態にします。

 

これをされた相手は、精神的にびっくりしてしまい、それが何度か続くとびくびくしてしまいます。だから、身体的には、常に緊張しています。なので、常に、体のどこかが痛かったり、硬かったりします。

 

人によっては、激しい頭痛や胃痛も訴えます。

 

ここで厄介なのは、ある程度の期間、そのような状況におかれると、この精神的にも、身体的にも緊張した状態が長引いてしまうのです。

 

これはもう無意識に、体の癖みたいになっています。

 

だから、次の職場に行ったときも、また、あのときのようなことが起こるのではないかと想像して構えてしまいます。

 

まぁ、あまり、そのようなことは無いのですが。

 

脳と体の緊張を長引かせてはいけない

 

この精神的、身体的な緊張が長引くのはあまり良いことではありません。

 

なぜかと言うと、この状態はずっと神経を興奮させていて、体を休めるスキを与えてくれないからです。そのため、自律神経が乱れたりして、体がやたら冷えたり、眠れなかったり、物事を考えるのが鈍くなったり、食欲が増減したり、女性ならそれこそPMSの症状がさらに重くなります。

 

このような体の不調を抱えるのは、思わしくありません。日々を生きるのは辛く感じるでしょうし、2次的に別の病気も引き連れてきます。

 

なので、今こそ、外出自粛を言い渡されている今のうちに、しっかりと体の調子を整えましょう!

 

私自身、ブラックアルバイトで働いた後は、医者やカウンセラーに相談したりしました。

 

医者は、すぐに働くのではなく、しっかりと休むことをすすめてくれました。しかし、私がすでに別のバイトを決め、2,3日中には働くと言ったら、渋い顔をしていました。

 

そのため、私はブラックでのパワハラモラハラにあった後に、しっかりと休んだとは言えないんですよね。

 

あの時、しっかりと休んでいたなら、もしかしたら、精神的な回復はもっと早かったのではと少し悔やむ気持もあります。

 

なぜなら、今でも時たまパワハラモラハラのことを思い出したら、イラッとします。いえ、猛烈な怒りを感じます。

 

刺激を減らして、脳と体を休めることの意義

 

休むことの意義としては、自分に余計な刺激を外部から与えられないようにすることです。

 

仕事をしていれば、人との関わりや、いろんな責任などが出てきます。その分、神経をいろんな形で刺激します。そうなると、トラウマ状態になってしまった記憶に着火してしまうと、精神的に不安定になってしまったりしがちです。

 

だから、余計な刺激を減らして、とにかく寝ることに専念します。

 

寝ることによって脳内に溜まっている余計な記憶や感情を、処理するようにします。

 

正直、あまり寝れないという状態になっているかもしれませんが、とにかく寝ます。

 

脳だけでなく、寝ることによって今まで緊張することによって酷使してきた、筋肉も休めてあげます。

 

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ブラックな職場に勤めていると、あまり冷静な判断を下したりできません。ですので、とにかく脳と体を休ませてください。

 

そうしたら、自分が何を望むのかが見えてきます。

 

とにかく休んでくださいね。

 

転職nendo×はてなブログ 特別お題キャンペーン #しごとの思い出

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言語や言葉の使い方が、自己肯定感を上げたり下げたりする

「わたしと英語」

 

 

 日本語は自尊心を低める言葉づかいが多い

 

日本語と多言語を比べて気になったことがあります。

 

日本語って、なんだか、自分や他人を下げる言葉遣いが多い気がします。

 

褒められたら、「いえいえ、自分なんて大したことありません・・・」

 

と、自分を下げたり、

 

自分の子供や奥さんの事を、「愚息、愚妻でして・・・」

 

と、これに近い表現で、自分以外の近しい人を下げる表現をしたりするのを耳にします。

 

こういう言葉の使い方も、良い意味で捉えれば、『謙遜』なのかも知れませんが、どうにも私にはこれらの言葉の使い方に違和感を覚えてしまいます。

 

そして、こういう言い回しをする事が、結果的に自尊心を低めているのではないかとも思っています。

 

日本人の自尊心は世界的に見てもかなり低いです。

 

ある研究では、アンケートを18歳から29歳までの青年の男女に実施したところ、53カ国の中で、最下位のレベルで日本人の自尊心は低いと言う結果がでました。

 

アメリカは褒める文化がある

 

アメリカに住んでいた時は、「私なんて・・・」と言うような言葉は一切使わなかったような気がします。

 

アメリカでは、褒められても「Thank you!」と言って、普通に喜んでいればよかったのです。そして、相手を褒め返します。

 

しかし、日本ではどうにもそれがしづらい気がします。

 

また、アメリカでは親が子を人前でけなす様な表現をするのを見ませんでした。

 

むしろ、「この子はこういう事が得意で・・・」と言った、紹介の仕方をしたりしていました。

 

また「この子は本当にかわいくて好き」「この子を大事にしている」と言う表現もよく子供に対して言っていたように思えます。

 

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すべてのアメリカ人の親が、子供のすべてを肯定するわけではないでしょう。アメリカにも毒親に分類されるような人もいます。しかし、いわゆる普通のアメリカの親は子供をよく褒めるのです。

 

でも、日本の普通の親と言ったら、あまり褒めることをしない傾向がある気がします。

 

私の親は、私のことを褒めることはほとんどありませんでした。むしろ、足りないところを指摘したり、怒ったりするという具合でした。

 

これは、私の親がそうであったのかもしれませんが、どこか、日本の社会は足りないところを指摘することを、褒めることよりも優先しているように思います。

 

子供のころから、常に足りないところを指摘されて育てば、その子が大人になった時は、自分の足りないところに目が行きます。そして、さらに他人の足りないところにも目が向くようになるでしょう。

 

または、極端に自分は足りない、でも、他人は全部いいものを持っていると言う考え方にすらなるでしょう。

 

このような感じでは、自己肯定感はまともに育つ事はできないです。

 

出来るだけポジティブな言葉遣いを心がける、それは英語でもいい

 

アメリカで暮らし、英語でのポジティブな言葉の使い方に触れていると、実際に自信を持って行動していいという気分になれました。

 

しかし、日本語で暮らしていると、どうにもその感覚にはなれませんでした。足りないところに目が行くようになるのです。

 

ただ、とにかくネガティブな形で自分を表現しないように、自虐的な表現は使わないように気をつけました。

 

日本には言霊(ことだま)と言う言葉があります。自分が発した言葉は、実態をもって自分や周りに現れるという言葉ですね。

 

そのことを考えると、自分自身にたいしてネガティブな表現を使うことは、自分の能力を下げてしまい、自分自身の生活の質を下げる結果になりかねないと思っています。

 

だからこそ、自分自身に対して、ネガティブ表現は使わないのは当然の事とし、他人、特に身近な家族に対しても、ネガティブな表現で本人にも、他人に話さないように気をつけています。

 

気をつけても、表現が適切でなかった場合は、その倍は褒めるように心がけています。

 

日本語で褒めるのが気恥ずかしい場合もあります。照れて、少し下げるような表現をしてしまう事もあるのかも知れません。

 

思考パターンや自分の口に上る言葉を変える事が難しいようなら、言語を変えてしゃべってみると言う手があります。

 

日本語で作られた思考パターンをいったん遮断します。そして、別の言語の思考パターンでしゃべるのです。

 

でも、教科書で英語の勉強をしているだけでは、その言語のパターンに気づくのは難しいかも知れません。となると、現地、またはネイティブの人と話して、その人の言葉のパターンを真似していくのが手っ取り早いです。

 

 

そして、日本語では気恥ずかしいと思う褒め言葉を多用するのです。多用しすぎて相手に胡散臭がられるかもしれませんが、しばらくやっていると慣れてきます。

 

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自己肯定感をあげるために自分で自分を褒める

 

自分自身を一番けなしているのは自分だったりします。だからこそ、自分で自分を一番褒めるほうがいいです。

 

他人に、「褒めて!褒めて!」オーラを出すとうざがられますので、余計褒め言葉が遠ざかって生きます。

 

だから、自分で自分を褒めます。

でも、自分で自分を褒めるのは照れくさいと感じると思います。

 

だったら、英語で自分で自分を褒めればいいのです。英語の練習だからと自分をごまかして、自分を褒める英語を学べばいいのです。

 

「I'm Great!」

「I'm Beautiful!」

 

なんでもありです。

 

ついでに英語も出来るようになれば、達成感もあります。そういう面でも、自分の事を必要以上に下げるような思考パターンからは、脱出しやすくなります。

 

自分を認めてもいい事柄をひとつでも見つけると、他の面の自分も認めやすくなっていきますから。

 

自己肯定感が高いほうが、文化が育つ

 

私自身は日本の人々は潜在能力は非常に高いと思っています。そして、そういう能力を発揮することの出来る環境が非常に整っていると思います。

 

でも、自己肯定感の低さに引きづられてか、それを発揮できてない人も多いと思います。

 

 

もしも、日本の人々が「自分はこれでOK」と言う気持を持って、自分の好きな事をしたり、仕事をしたりしていれば、日本はもっと素敵な国になると信じています。

 

今までも、そうして独自文化を作り上げてきたのですから、国民全体の自己肯定感が上がれば、さらに良くなっていきます。

 

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小さな恐怖の掛け算が引き起こした不安障害

恐怖の掛け算でパニック障害になったかもしれないという話です。

 

私が、パニック障害になってしまったきっかけは、化学物質である香水の匂いを嗅いだときでした。

 

高校を卒業してから、一時的に香水を使った時期もありましたが、使うたびに喉が焼け付く感じや、喉が絞まる感覚がありました。

 

そのため、しばらくしたら香水を使うことはやめましたが、さすがに他人の香水の使用や柔軟剤の使用には口出しできません。

 

そして、とある蒸し暑い夏の日に、友達の香水の匂いを嗅いでしまい、苦しくなりました。すぐに、呼吸が困難になったわけではありません。まずは、首の周りがかゆくなり、息がだんだんと吐けなくなる感覚がありました。

 

そして、発作が始まりました。

 

喘息にも似ている発作でした。

 

X 喘息

 

不安障害やパニック障害は喘息持ちだった人がなりやすい傾向があるようです。

 

そりゃそうですよ。と、思ってしまいますが。

 

喘息の発作はかなり苦しいです。死ぬなんて事はなくても、「死ぬかも」と思ってしまいます。

 

その発作を何度となく繰り返していると、この感覚が「恐怖感」を作り出してしまいます。

 

X 親の教育

 

親が子供を育てるときに、脅しとも言えるような言葉を使うことがあるんですよね。たいていは、親が言うことを聞いてもらいたい時、自分の都合の良いように、支配したい時とでもいいましょうか?

 

よくあるのは、「言うことが聞けないなら、出て行きなさい」

 

とかですね。子供からしてみれば、恐怖ですよ。まだ多くのことができない子が親の保護から外れると言う経験は、恐怖です。

 

この安全を感じられないような言葉は子供を不安定にします。

 

X 子供のころの性的な恐怖

 

異性に体を触られるって、恐怖ですよ。例え、それがどんなに小さな事でもです。

 

頭、肩とか手を触るなら、まぁ、ありかもしれないなんて思ってしまう範囲ですが、相手が発している雰囲気、表情から、それが、性的な意味で触ってきていると幼いながらに、察したときは、ひどい嫌悪感を感じたものです。

 

恐怖と嫌悪感は、ひとつの対象を強く拒絶すると言う意味では表裏一体のものです。

 

子供のときのことだからと、記憶から薄れたとしても、感情として「恐怖=嫌悪」は心に残っています。

 

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X 大人になっても性的な恐怖は消せない

 

大人になっても、道を歩いていて見知らぬ人に触られたり、見知らぬ人に裸を見せられたりしたら、例え、気にしないようにしようとしても、どこか、心に恐怖を作ってしまいます。

 

「人生、色々と起こるものだ」と思ったとしても、また、痴漢にあわないか心配になってしまい、外を歩くのにも警戒心が強く働くようになりました。

 

必要以上の継続的な警戒心というのは、心を疲れさせます。

 

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X 治安への不安

 

住んでいる地域の治安ってやっぱり人の心の安定には大事です。

 

私は一度空き巣に入られています。

鍵をかけていたのにもかかわらずです。どんな手でも使ってやってくるんですよ。

 

だからこそ、恐怖!!

 

気をつけていたのに、アパートに入られたという感覚は気持の悪いものです。「恐怖=嫌悪」が心の中に発生し、自分の部屋にいるのに、安心できないと言う、心の落ち着かない生活を送ることになります。

 

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X 将来への不安

 

将来はうまくやっていけるのかが心配。20代前半の頃は、結構、将来のことを考えて不安になりました。

 

このままマッサージの仕事を続けるか、新たな職の訓練を受けるか、しかし、職の訓練に時間を費やしたところで、どうなるかわからない・・・

 

そんな不安は、健康な状態であれば、割と払拭しやすいのですが、体調を崩してしまい、医療にお金がかかりすぎた時は、結構、精神的ダメージが多かったです。

 

X 心の葛藤

 

また、自分は将来は色んな国を見て回りたいと言う思いもありました。

が、女一人で色んな国に行くという危険性、経済的な面でどうか、キャリア形成が遅くなるのではないかと言うことを心配しました。

 

やりたい事をやるのは、聞こえはいいが、それには多くの責任も伴うし、必ずしもすべてがうまく行くはずが無い事も考えてしまうと、非常に不安になりました。

 

「あれをやりたい、しかし、本当にいいのか?」

 

などと、葛藤しているだけならいいのですが、ここに、神経質な不安が湧き上がってきたら、アウトです。

 

もしかしたら、海外で射殺されて死んでしまうのではないかと言ったような心配ですね。

 

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今は思いますが、やりたいことはやった方が、変に悶々とせずに過ごせるので、やってしまえ!と、思いますが、あくまでも、きっちりと下調べと下準備をした上で「やれ!」と、思っています。

 

掛け算しすぎると増えていくから、いつしか手に負えなくなる

 

 

軽くざっくりと私が何に恐怖を感じてきたかを書き並べてみました。

 

あなたは、何に対して恐怖を持っていますか?

 

たいていの人は、何かひとつだけの出来事で、神経症にかかるとは思いません。

 

多くの場合、色んな出来事が積み重なって、最終的に神経症に行き着いてしまったのだと思います。

 

自分の心の回復のためには、恐怖に向き合うと言うプロセスが必要になってきます。恐怖を無視しながら、回復すると言うのは、まるで、傷を見ないで傷を手当しようとするようなものかもしれません。

 

でも、本当にその傷を見ることができないならば、誰かに頼んで、一緒にその傷の手当をするのも手です。

 

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