転んで、立ち上がって、寝る

毒親、不安障害やパニック障害、HSP疑惑、生きづらくて奮闘するが、空回り気味の人

言語や言葉の使い方が、自己肯定感を上げたり下げたりする

「わたしと英語」

 

 

 日本語は自尊心を低める言葉づかいが多い

 

日本語と多言語を比べて気になったことがあります。

 

日本語って、なんだか、自分や他人を下げる言葉遣いが多い気がします。

 

褒められたら、「いえいえ、自分なんて大したことありません・・・」

 

と、自分を下げたり、

 

自分の子供や奥さんの事を、「愚息、愚妻でして・・・」

 

と、これに近い表現で、自分以外の近しい人を下げる表現をしたりするのを耳にします。

 

こういう言葉の使い方も、良い意味で捉えれば、『謙遜』なのかも知れませんが、どうにも私にはこれらの言葉の使い方に違和感を覚えてしまいます。

 

そして、こういう言い回しをする事が、結果的に自尊心を低めているのではないかとも思っています。

 

日本人の自尊心は世界的に見てもかなり低いです。

 

ある研究では、アンケートを18歳から29歳までの青年の男女に実施したところ、53カ国の中で、最下位のレベルで日本人の自尊心は低いと言う結果がでました。

 

アメリカは褒める文化がある

 

アメリカに住んでいた時は、「私なんて・・・」と言うような言葉は一切使わなかったような気がします。

 

アメリカでは、褒められても「Thank you!」と言って、普通に喜んでいればよかったのです。そして、相手を褒め返します。

 

しかし、日本ではどうにもそれがしづらい気がします。

 

また、アメリカでは親が子を人前でけなす様な表現をするのを見ませんでした。

 

むしろ、「この子はこういう事が得意で・・・」と言った、紹介の仕方をしたりしていました。

 

また「この子は本当にかわいくて好き」「この子を大事にしている」と言う表現もよく子供に対して言っていたように思えます。

 

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すべてのアメリカ人の親が、子供のすべてを肯定するわけではないでしょう。アメリカにも毒親に分類されるような人もいます。しかし、いわゆる普通のアメリカの親は子供をよく褒めるのです。

 

でも、日本の普通の親と言ったら、あまり褒めることをしない傾向がある気がします。

 

私の親は、私のことを褒めることはほとんどありませんでした。むしろ、足りないところを指摘したり、怒ったりするという具合でした。

 

これは、私の親がそうであったのかもしれませんが、どこか、日本の社会は足りないところを指摘することを、褒めることよりも優先しているように思います。

 

子供のころから、常に足りないところを指摘されて育てば、その子が大人になった時は、自分の足りないところに目が行きます。そして、さらに他人の足りないところにも目が向くようになるでしょう。

 

または、極端に自分は足りない、でも、他人は全部いいものを持っていると言う考え方にすらなるでしょう。

 

このような感じでは、自己肯定感はまともに育つ事はできないです。

 

出来るだけポジティブな言葉遣いを心がける、それは英語でもいい

 

アメリカで暮らし、英語でのポジティブな言葉の使い方に触れていると、実際に自信を持って行動していいという気分になれました。

 

しかし、日本語で暮らしていると、どうにもその感覚にはなれませんでした。足りないところに目が行くようになるのです。

 

ただ、とにかくネガティブな形で自分を表現しないように、自虐的な表現は使わないように気をつけました。

 

日本には言霊(ことだま)と言う言葉があります。自分が発した言葉は、実態をもって自分や周りに現れるという言葉ですね。

 

そのことを考えると、自分自身にたいしてネガティブな表現を使うことは、自分の能力を下げてしまい、自分自身の生活の質を下げる結果になりかねないと思っています。

 

だからこそ、自分自身に対して、ネガティブ表現は使わないのは当然の事とし、他人、特に身近な家族に対しても、ネガティブな表現で本人にも、他人に話さないように気をつけています。

 

気をつけても、表現が適切でなかった場合は、その倍は褒めるように心がけています。

 

日本語で褒めるのが気恥ずかしい場合もあります。照れて、少し下げるような表現をしてしまう事もあるのかも知れません。

 

思考パターンや自分の口に上る言葉を変える事が難しいようなら、言語を変えてしゃべってみると言う手があります。

 

日本語で作られた思考パターンをいったん遮断します。そして、別の言語の思考パターンでしゃべるのです。

 

でも、教科書で英語の勉強をしているだけでは、その言語のパターンに気づくのは難しいかも知れません。となると、現地、またはネイティブの人と話して、その人の言葉のパターンを真似していくのが手っ取り早いです。

 

 

そして、日本語では気恥ずかしいと思う褒め言葉を多用するのです。多用しすぎて相手に胡散臭がられるかもしれませんが、しばらくやっていると慣れてきます。

 

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自己肯定感をあげるために自分で自分を褒める

 

自分自身を一番けなしているのは自分だったりします。だからこそ、自分で自分を一番褒めるほうがいいです。

 

他人に、「褒めて!褒めて!」オーラを出すとうざがられますので、余計褒め言葉が遠ざかって生きます。

 

だから、自分で自分を褒めます。

でも、自分で自分を褒めるのは照れくさいと感じると思います。

 

だったら、英語で自分で自分を褒めればいいのです。英語の練習だからと自分をごまかして、自分を褒める英語を学べばいいのです。

 

「I'm Great!」

「I'm Beautiful!」

 

なんでもありです。

 

ついでに英語も出来るようになれば、達成感もあります。そういう面でも、自分の事を必要以上に下げるような思考パターンからは、脱出しやすくなります。

 

自分を認めてもいい事柄をひとつでも見つけると、他の面の自分も認めやすくなっていきますから。

 

自己肯定感が高いほうが、文化が育つ

 

私自身は日本の人々は潜在能力は非常に高いと思っています。そして、そういう能力を発揮することの出来る環境が非常に整っていると思います。

 

でも、自己肯定感の低さに引きづられてか、それを発揮できてない人も多いと思います。

 

 

もしも、日本の人々が「自分はこれでOK」と言う気持を持って、自分の好きな事をしたり、仕事をしたりしていれば、日本はもっと素敵な国になると信じています。

 

今までも、そうして独自文化を作り上げてきたのですから、国民全体の自己肯定感が上がれば、さらに良くなっていきます。

 

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