最近は一人の人だけを糾弾しようとする姿勢が見られる。
本当にその人は、全国にさらされて極悪人が如くに避難される必要はあるのだろうか?
執拗に人を批判するのはモラハラ
犯罪でも無いのに、一つの発言や行動を取り上げひたすら騒ぐ*1
これはモラハラの手段の一種である。
モラハラとは、モラルハラスメントの略で、言葉や態度を使ったいじめや嫌がらせを指す。被害者側が精神的に傷つくことが多いが、外傷が無いので見過ごされやすい事も特徴的。
しかし、上記の意味合いだけだと、モラルと言う言葉を使っている意味は無い。
わざわざ「モラル‐moral」と言うラテン語から来た言葉を使っている事の意味を考える必要がある。
なぜならモラルハラスメントの構造には、「モラルを使って攻撃する」と言う事がある。
モラルは倫理や道徳を意味する。
倫理や道徳には、「あれをしてはいけない、これをしてはいけない」と言った、ある種の規則や規律が存在する。
基本的に人々はこれを無意識のうちにも守り、生きていくことが出来る。しかし、あくまで精神世界のものなので、善悪がはっきりと認識できないグレーゾーンがある。
モラルハラスメントの加害者は、このグレーゾーンをつつくことを喜んでする傾向がある。
世の中に完璧に物事を行う事が出来る人は存在しないと言う前提で、人々は生きているはずだ。
モラルハラスメントでは誰かがミスをしたりした時、それを狙って、責める事をする。
だから攻撃対象とされた側は、最初のうちは、自分が悪かったなと思ってしまう。
そして、ミスでも無い言葉尻を捉えて、さも悪いことの様に騒ぎ立て、ターゲットを悪人に仕立てる事もある。
そして、ズルズルとその悪辣な波に飲み込まれてしまう。
モラハラは個人でも、集団でも起きうる。
さらに、モラハラについて提唱したマリー・イリゴイエンヌも言及しているが、モラハラが横行しやすい組織と言うのが、政治である。
政治の世界はお互いの足を引っ張り合ってなんぼの世界くらいに、ブラックに染まりきっているようだ。
しかしテレビを筆頭にしたマスコミが現在行っている事は、一体どういう事だろうか?
本来は色んな角度から物事を見れなければならないのではないだろうか?
今まででマスコミ上で謝罪の言葉を述べてきた人、特に有名人は多い。彼らは本当に公に謝罪をし、それでも糾弾される必要があったのだろうか?
彼らの中で事を済ませる事も出来たのではないだろうか?
このような状態を指して、一人の人を攻撃している状態を「集団リンチ」と言う言葉を使う人もいる。
モラハラを行う人にはやましい所がある
モラハラを行う人に共通する性質の一つに、自分の心のやましいと感じる部分をごまかすために、他人を責めることをする。
そして、他人にも嘘でもなんでも吹き込んで、その一人の人が悪いかのように思わせる。
しかも、大騒ぎをするのだ。
この騒ぎ方はどうにもヒステリックで、聞きがたい所があるので、精神がしっかりと確立された人はこのような人には踊らされない。
しかし、精神的にはまだ未熟であったり、自分の利益優先の人物は感情優先の人物の言う事に従ってしまう。
これが物事をややこしくしていき、攻撃対象とされた側はたまったものでは無い。
精神的に疲れるだろうし、何もかもやってられなくなる。
テレビや他のメディアで集中砲火を浴びている人を見る時、とてもゾッとするのである。
人が何かを間違えないなんてことは無い。
ミスはどうやっても起こりうるもの。
またミスでは無いけれど、言葉の使い方一つで誤解が生じる事がある。
もしくはどんなふうに言葉を聞くか、どう解釈するかだけでも、誤解が生じることがある。
だから、その人がなぜその発言をしたのかを考えたりする。
しかし、その発言の理由、意図、経緯を一切考えもせずに、「あんなことを言ったあの人は、悪人だ!!」と言うような批判をするのはいかがなものかと常々思う。
このような事が多いから、個人的にはテレビを所有することは無くなった。
モラハラはどこでも起こりうる
モラハラは色んな組織で起きうることだ。
家族内、学校、会社、ボランティア組織、政治、その他諸々だ。
マスメディアを通してこんなにもモラハラの構図を見せられている国民にはどんな影響が起こりうるだろうか?
‐ Aさんの立場が気に入らないから、Aさんを糾弾してその立場から引きずり落そうと言う空気が簡単にまかり通るようにはならないだろうか?
‐ 無意識のうちに誰かのちょっとしたミスを取り上げて、責め立ててもいいと言う空気が作り出されないだろうか?
‐ 言葉でも行動でもちょっとしたミスをすると、責められてヤバいことになるから、何もやらないでおこうと言う非積極的な態度にはならないだろうか?
モラハラが起こる社会は腐敗する
モラハラが横行する社会は腐敗する。
なぜなら、他者の倫理や道徳価値観の違いに対する寛容さが存在しないから、問題が起こる。
また、モラハラの加害者側の主なる行動原理は「自分のため」である。決して社会のための行動では無いので、話を聞くと首をかしげてしまうぐらいには、おかしな話が展開される。
そこには他者への思いやりが無い。だから、圧迫感を感じさせられる。
人を責める側はターゲットにした人の道徳や倫理感を責めながら、自信の道徳や倫理観は決して高くはない。
だから、厚顔無恥な事が出来る。
*1:犯罪者だったら騒ぎ立て、責め立ててもいいと言うわけではない。